*** 2004年7月4日(日)〜4日目、神様の強行軍上等 ***

 起床は8時すぎ。荷物をまとめてホテルの部屋を出ようとしたわたしに、イルカが言った。
 「なんやねん」
 「現地で長靴を借りる気がないなら、砂丘へは靴で行くといい。それでも砂まみれにはなるだろうが、砂の熱さで火傷することはないだろう」
 神様が続いて言った。イルカはどうやらわたしがサンダルで行くことに異を唱えていたらしい。  そこで靴に履き替え、9時半にチェックアウトして、鳥取駅のコインロッカーに荷物を預け砂丘行きのバスに乗る。

 わたしは人混みが苦手なので、砂丘はかなりにぎわっているのではと憂鬱だったが、鳥取駅発砂丘行きバスは意外と本数が少なく、日曜なのにわたしが乗ったバスで終点の砂丘まで行ったのはわたしひとりだった。こうなると、今度はあまり繁盛していないのではと不安になってくる。
鳥取砂丘その1  しかし、砂丘には人が思ったよりはいた。バス停側の展望台で砂丘を見てからリフトに乗って砂丘側へ。道路沿いに民宿やレストハウス、土産屋の並んでいるのが見えた。
 ここへはツアーの団体として観光バスで回るか、車で来て泊まっていくのが一般的なようだ。そういえば、砂丘は夕方や夜、風の強かった日の翌朝、そして雪の日の朝・夜などが特に美しいという。泊まりがけのほうが確かに楽しめたかもしれない。
 時間に融通のきかない団体さんでもないのに、午前中とはいえよりによって真夏の灼熱の砂丘にやってきたわたしは大まぬけである。
鳥取砂丘その2  が、ウカツさを嘆いても涼しくなるわけではない。意を決して砂の上に下り立つ。砂を触ってみた。熱い。背中のラッキーコンビの言うことを聞いて正解だった。サンダルだったらタイヘンなことになっていた。
 カップルがラクダに乗っている。生のラクダを見たのは初めてだったので嬉しいことは嬉しいのだが、しかし正直なところこの規模の砂丘にラクダというのは何となく場違いの感が否めない。
 そういえば、砂丘にラクダ屋があることは聞いていたが、馬車屋もあったのは意外だった。

 リフトから日本海が見渡せる場所までは、ちょうどVの字の地形になっている。砂丘を下りて行く人たちと上って行く人たちが皆豆粒のように見える。運動不足の身としては気が遠くなりそうだ。
 ともあれ、ざくざく歩き出す。乾いた砂だしぬかるみよりはマシだろうと思ったが、甘かった。一歩踏み出すと半歩ずり落ち、なかなか先に進まない。元気で軽快なじいさんばあさんたちに追い越されながらも、どうにか砂丘の上にたどり着く。

鳥取砂丘その3  わたしの中では、島根の日御碕灯台で見たようなどこか厳しさをたたえる深く濃い青が、日本海のイメージとして定着している。ところが砂丘から見た日本海は、沖縄の海を連想させるようなエメラルドグリーンにも似た淡い青だったので、少し驚いた。

 それからまた砂丘を下りて上り、リフトに乗る。バスの時刻表を覗いていたら、ヒマしていそうなタクシーのおっちゃんにまたも遭遇してしまった。あぁあ、また人懐こそうな笑顔だよ。駅からお客を乗せてきて帰りのお客を待っているのだが、二時間誰も来ないのだという。駅まで半額でいいから乗っていかないかと言われた。もちろん正規価格のバスのほうが半額タクシーより安い。しかもバスはあと数分で来る。それなのにわたしは負けた。

 おっちゃんは運転しながら、客が「これから普通電車で天橋立に行き、観光してから大阪に泊まる」と言ったのを聞き、ぎょっとして「そりゃちょっと無謀だよ」と言った。客も「ですよねぇ」と大いにうなずいた。
 宿はすでに予約してしまっているが、キャンセルして天橋立に一泊することを覚悟しておいたほうが良いだろう。しかし何ということだ、大阪のホテルは今回の旅行の前半戦中最もリッチなところだというのに。宿泊料金が高価ということは、当日キャンセル料もそれだけはね上がるということだ。タクシー乗ってる場合じゃないだろう。……と思いつつも、短い時間だったがいい話し相手になってもらったので、よせばいいのに全額払った。同行者のイルカは聞き取り不可能なNZ英語か「なんやねん」しか話せないし、神様は出雲大社に集まる全国各地からの願い事をさばくのに忙しいらしく、ここぞというときにしか口をきいてくれない。わたしは生来寡黙なタチだと思うのだが、誰ともほとんど話さなかったこの数日の間に、実はけっこうしゃべりたくなっていたらしい。

 鳥取から天橋立へは、山陰本線を二度乗り継ぎさらに私鉄に乗り換えねばならない。今後の運命は電車のダイヤ次第といったところか。こんなときこそ神頼みだ。
 「神様、因幡(いなば)の白ウサギの話の舞台になった白兔(はくと)海岸、早く通りたくありません?(寄れませんけど)」
 猫なで声で背中の神様に言ってみる。
 「調子の良いやつだ、中途半端な無計画さを少しは反省せい」
 神様の色よい返事は聞けなかった。鳥取駅に着いてから目的の電車が出るまでの待ち時間からして30分。しかも怖いのは、この場で調べられない接続電車の待ち時間である。何せ、かつて学生時代九州を旅した折り夜寒い中ほぼ吹きさらしの駅で一時間近く(正確な時間は覚えていないが、とにかく長かった)接続電車を待ったことがある。それならどうしてそこで学習して今回前もって調べてこないのかという話になるが……あああ。
 「なんやねん(朝ごはん食べてないでしょ。もうお昼だよ。せっかく長い時間電車に乗るんだし、駅弁でも買ったら?)」
 がっくりするわたしに、とりなすようにイルカが言った。確かに、急いでも電車だけはどうにもならない。開き直って海鮮弁当を食べながら車内で出発を待つ。

 鳥取から山陰本線で浜坂へ、浜坂から同じく山陰本線で豊岡へ。豊岡から天橋立へはタンゴ鉄道に乗り換え。思ったより接続は良かったが、思ったより乗車時間が長い。天橋立駅に到着したのは4時だった。
 先に駅のカウンターで大阪行きのバスを尋ねるが、最終便はもう出てしまうという。電車のダイヤを見ると、京都行きがやはり一時間ほどで出てしまう。天橋立を見ずに大阪へ向かってはここへ来た意味がない。やはり予定の宿はキャンセルか。
 そのとき背中の神様が言った。
 「時刻表を良く見ないか。途中駅で新大阪行きに接続する電車が二時間ほど後にあるではないか」
 おぉっ!
 こうなったら何が何でも天橋立を見て、おいしいものを食べなければ! わたしは大きな荷物を持ったまま島根のタクシー運ちゃんが紹介してくれた民宿のおかみさんを訪ね、挨拶もそこそこに「二時間ちょっとしかないんですが、どうすれば効率よく見られますか?」と相談してみた。
 するとおかみさんは「対岸に渡ると時間がたりないかもしれないから、こっち岸のリフトで展望台にのぼるといいよ」と地図をくれた。さらに荷物もタダで置いてくれるという。わたしは急いで展望台へ向かった。

天橋立  おかみさんの民宿は駅のすぐ側で、展望台へもそこから2〜3分で行ける。あっという間に絶景堪能スポットにたどり着いた。股のぞき(天橋立に対して背中を向け両脚を開いて立ち、かがんで脚の間から後方を逆さに眺める)用の台がしつらえられていたが、人がたくさんいたのでやめておいた。
 天橋立は広島の宮島にある厳島神社・宮城の仙台にある松島と並ぶ日本三景のひとつだ。厳島神社と松島には行ったことがあるので、これで日本三景を一通り見られたことになる。高校を卒業するまでは、東京二十三区民でありながら山手線にさえ滅多に乗らなかったこのわたしが、今ここにこうしているとは。先のことは本当にわからないものだ。

 短い感慨に耽ってからリフトで地上に降りると、展望台の職員のおにいさんに呼び止められた。「さっきおかみさんから電話があったんですが、急いでいるという東京の方ですか?」と言う。「おいしい店を教えてあげてほしいと(島根の運ちゃんからおかみさんが)頼まれたそうなんですが、この店なら近くて値段も手頃でおいしいからって」と、地図をくれた。見ると、展望台からおかみさんの民宿へ戻る道沿いにあり都合が良い。礼を言って店に向かう。
 それにしてもおにいさんにはわたしが「急いでいる東京の人」であると何故わかったのだろう? よほど憔悴しきった顔をしていたのか、せかせか歩きをしていたのか。あるいはおかみさんが「背の高いひとり旅の女性」とでも言葉を添えたのかもしれない。今まで身長に関しては苦い思い出のほうが圧倒的に多いのだが、外見上の特徴を説明するには、まあ便利と言わざるを得ない。

驚いたことに、おかみさんは店にも連絡を入れていてくれたらしく、店のおばちゃんは最優先でわたしに料理を運んできてくれた。丹後の新鮮な海の幸をしっかり楽しめて、しかも財布に優しかった。
 そもそも一期一会のタクシーの運ちゃんつながりである。実は心のどこかで警戒して「この人たち結託しているのだろうか?」という気持ちを抱いていた。もっとも、ベースが人を信じやすくてあまりに無防備なので常に周囲に心配されている人間なので、「まぁいい人そうだし」の気持ちのほうが圧倒的に強く、結局教えてもらったままにホイホイここまで来たわけだけれど。
 すぐ人を信じるというと聞こえはいいが、それは真贋を見きわめる目が備わっていないことをも意味する。実際、痛い目に遭ったこともわりとある。それでもやはり信じたくて、信じたときに報われるのはとても嬉しい。

 そういうわけで、今日はシアワセだなぁと思いながら食後のお茶をすすっていたが、ふと時計を見て困った。天橋立の人々のあまりにみごとな連携プレイのため微妙に時間が余ったのである。出発の時間までは、まだ五十分ほどある。駅で待つには長いが、フェリーで対岸に渡り見物していると、電車に間に合わなくなりそうで心配だ。
 「なんやねん」
 「そうだな、自転車で向こう岸とこちらとを往復する程度ならできるぞ」
 午前中に砂丘を歩き、数時間電車に揺られ、さらに急いだのでもうクタクタだったが、ここまで来て勿体ないという貧乏根性が疲労に打ち勝った。背中のラッキーコンビの提案に乗り、民宿に戻る。民宿ではレンタサイクルも扱っており、おかみさんは店で一番いい電動式自転車を割引価格で貸してくれた。
 天橋立駅のある文殊側と対岸の宮津側は、約3.6キロの細い砂嘴(さし)で結ばれている。イザナギノミコトがイザナミノミコトのもとへ通うために天から架けた橋が、ある夜倒れて海に落ち、この天橋立ができたのだという。文殊側の砂嘴入口近くには、この夫婦神が開いたという寺伝をもつ智恩寺があるので、寄ってみる。ここには重文の秘仏・騎獅文殊菩薩坐像を安置するという文殊堂がある。
 両岸に海を見ながら木々の立ち並ぶ砂嘴をチャリで走るのはとても爽快だった。ここでは海水浴も出来るらしく、なぜか外国人の人たちがたくさん泳いでいた。
 宮津側に着くと、少し海岸沿いを走ってから折り返し文殊側へ戻る。昔からある元祖・股のぞきの名所は、砂嘴を渡った宮津側の成相山中腹にある笠松公園で、急な山道の上にあるのだという。今度また来ることができたら、こちらを攻略したいものだ。

 二時間を燃焼しきってこの旅初めての特急に乗り込み、途中福知山で乗り換えて、9時には大阪に到着。地下鉄の梅田から心斎橋に出て奇跡的に「予定通り」ホテルにたどりついた。

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